本日、一月三十日は「甲子(きのえね)」、大黒様のお祭り(大黒祭)です。
菩提寺における毎年恒例の大黒祭に行って参りました。七福神の大黒様です。我が家にも一体お預かりしてあります。
甲子は、干支の中十干の第1番目にあたります。甲(きのえ)は、木性の兄イコール木の兄(きのえ)という意味で、子(ね)はご存じ十二支の1番目(ねずみ)です。そして十干と十二支を組み合わせた六十通りの最初となるので、子の日の中でも特別な日です。
大黒天(通称大黒様)は大国主命(別名大国様)と同音であることによる混同的な連想により、大国主命が野原で放火された時にねずみの導きで救われたという神話に基づき、いつの日かねずみが大黒様の使いとなったということです。信仰自体も大国主命と混同され、後述のように福徳の神様として信仰されたということのようです。平安時代に天台宗の開祖最澄が伝えたと言われ、主に天台宗の寺院で信仰され始めたと本にありますが不勉強で詳細はわかりません。
大黒天はもともとインドの戦いの神様マハカーラといい、大きな色の黒い神様だった様で(…大元は戦いに強い大きな黒人でしょうか)、語源も単純でマハは大きいことでカーラは黒色を意味するので大黒と訳されたのが始まりのようです。古代の人々のおおらかさが感じられて面白いですね。
大黒天は仏教に取り入れられ、大古久、大去垢とも呼ばれ、日蓮宗では鬼子母神や毘沙門天などと並んで法華経の守護神の1つでもあり、法華経時での荒行道(日蓮宗の僧侶の粗修行)での重要なプログラムにも取り入れられ、大日如来を中心とする真言曼荼羅にも登場します。
インドの古代神の大黒天(マハカーラ)はまさに戦いの神であり、髪は逆立ち、三面六臂(顔が3つで手が6つ)で鬼の様に恐ろしい顔をしています。両手で武器(刀)を柄と刃を握り、ひざまずく人の神をつかみ、白羊の角をつかみ、象の皮を持って背中にかぶり…、、蛇を腕輪にし、ドクロの瓔珞を身につけて、、と恐ろしい姿でありますが、、仏教における大黒天はその役割は変遷し、貿易の神、生産の神、食堂の神、福徳の神食堂の守護神としてまつられ、食物に不自由しない神とされたところから、お寺の本堂、大黒柱、家庭では台所に祭られるようになり、商売繁昌事業繁栄を支えてくださる神様となりました。
多くの皆さんがご存じの通り、福徳円満の微笑を浮かべ、頭には頭巾左手には袋右手には小槌を持ち、米俵の上に立っています。一生懸命働いて、真っ黒になる。つまり大黒になって働けば足もとから幸いが盛り上がって来ると言われています。大黒様の小槌は振れば何でも欲しいものが手に入るのではなく、小槌で物をたたくとこつこつと音がすることから、こつこつとたゆまず励むことが我々人間の幸福への近道であると教えられています。まさに私たちの精神の相(すがた)、、、、私のようにイライラせずいつでも微笑みを浮かべて、、まさに現代の私たち日本人の心の中にとどめておくべき相(すがた)とお寺のお上人は導きます。
お菓子やらお守りやらお札や福銭などを頂戴し、参加者全員参加の福引きでは、縁起の良いことに30年以上付けている私の誇りの背番号14を引き、亡くなった祖父の愛飲した球磨焼酎の新しいブランドの一升瓶が見事当たりました。ありがとうございました。
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