寿司屋の時代から数十年千石の地でやられていた池松が本日2007年7月25日閉店となります。店主はもう少しの間やりたかったのにいろいろあって閉店と相成りました。また近所で始めて欲しいのですがこれを機に引退されると言うことでした。
昨夜、何度も一緒に池松にお邪魔した凸版の前田さんと大塚医師と3人でお別れに行ってきました。
長い間お世話になったお店が閉まるというのがこんなにも寂しくこんなにも悲しいものとは知りませんでした…。
ここ一ヶ月はカウントダウンで別れを惜しむ常連さん、昔のお客さん、近所のお客さんが殺到して池田ママも大忙し。先日は東京JCFCのメンバーもお別れに来てくれました。私たちも一度二度行こうとして満席だったりもしました。昨日も満席でした。お店はまるで開店したのかと間違える様にお客さんが持ってきてくれたお花が沢山飾ってありました。綺麗でした。池田ママはいつものようすでいつもの様にお客のお世話をし、お客と冗談を言い合い、つまみを作っていました。何年も前からいつも変わらぬ光景、いつも変わらない空気、いつも変わらぬたたずまい。いつも変わらないと言うことがどれだけ深いものか考えました。いつものように元気でした(おそらく結構疲れていらっしゃるのに元気に見せているのかも)。池田ママはいつもと同じようにいつもの美味しいつまみを作り、いつもの様に手が空くとたばこを吸ったりして、いつものようにトイレに行くとおしぼりを持って待っていて、お花が沢山ある以外は全く変わらないいつもの池松でした。後から来た若いお客さんが綺麗な花束をママに上げたら嬉しそうに笑っていました。早速瓶に入れて飾っていました。
「日曜日、先生と森ちゃんたちがここで合体して盛り上がってたわよ〜」「今日は先生が来るからいくらを買ってきたわよ〜」いつも通りの池田ママでした。
一時間迷って選んだ3人からのプレゼント、池田ママはすごく喜んでくれました。前田さんもプレゼントを買ってきてくれました。自分が貰う訳じゃないのに何故か嬉しい気分でした。
いつものように好きなものをみんなで食べて好きなことを話しました。いつもの様にJCFCのメンバーの近況の話をし、いつもの焼き鮭、いつものサラダ、いつもの板わさ。大塚の大好物のホタテと名物納豆包み焼きはありませんでした。明日で終わりだから余りそうなものをどんどん出して!等といつもの憎まれ口を言うと、明日もあるから大丈夫よ!!残ったらひろ美と明後日食べるわよ!!などとやりとりし、大塚が何度も何度も池松がなくなったらどこで俺と田辺は飲めば良いんだ!?!、俺と社長とどこでこれから待ち合わせるの!?!と何回も何回も言いました。前田さんは私や大塚みたいにいろんなこと余計なことをおっしゃらないけれども、大好きな池松が閉店とあって感慨にふけっていらっしゃいました。池松ママは今度は私も一緒について行くよ!なんて言っていました。JCのサッカーの合宿に、ばあやとやめろんと一緒に参加したらどうか、、なんて話で楽しく過ごしました。前田さんと大塚と私、3人もそれぞれの仕事の話、家族の話、薬や医療の話、サッカーの話(アジア諸国での国際試合はAマッチなのに電気が消えたり、野良犬がバンバンピッチ上を走ったり…)で、まあいつものように盛り上がりました。
ラスト前日なのでいつも池松で出会う人が次々といらっしゃって、挨拶をしました。人生の先輩方であるいつものメンバーのは少しだけ顔出して少しだけ飲んで帰られてみんなで気遣いながらの様子でした。自分は良いから、、、とスマートでした。
最後には会えないかなと思っていたヤメロンのおじさんも登場し、お客さんに美味しいお寿司を振る舞ってくれました。池松がヤメロンのお父さん時代にお寿司屋さんだったことを思いました。残念ながらお会いしたことはないけれども池松寿司で食べてみたかったなあと思いました。ヤメロンのおじさん、いつものように満面の笑顔でしたがいつものパワフルな親父ギャグは1つもありませんでした。私もヤメロンネタで盛り上がることも結果として昨日はありませんでした(できませんでした)。
いつからか付け始めた大塚と田辺、あおぞらとライロの焼酎のボトルのナンバリングは32を数えました。はじめからやっていたら100は軽く超えていたはずだ、といつものおきまりの話をしました。中尾先輩のボトルが出てきて全部飲んでしまいました。JCFCのボトルも残っていたので全部飲んでしまいました。そのせいで33本目のボトルは幻となりました。
最後の池松を満喫…という表現が適切かどうかはわからないけれども楽しい時間を過ごしました。
最後は突然やってきました。
10時頃からこれから行ってもよいか〜、、なんて電話もちらほらあったようなので、いつもの様に遅くまで居たい(居座って飲みたい)気持ち、最後だから閉店まで居たい気持ちをぐっと抑えて10時過ぎくらいに帰ることにしました。慌てて(意地汚く?)残った焼酎をがーっと飲みました。先人の行動を見習い、スマートに帰らなければといつもと違う慣れないことを考えたので、私はいくらを食べ損ねました。池松名物のすいとんを頼むのを忘れました。最後のおにぎりは鮭が良かったけれども、これから焼いてくれとはどうしても言えなくて昆布のおにぎりを食べました。でもいつものように温かく、大きく美味しいおにぎりでした。
お勘定はいつものようにリーズナブルでした。もう少しだけ貰ってもう少し稼げばよいのにと思うお勘定でした。大塚と私、いつもは早く気が付いた方が1人で払うのですが、昨日だけは3人で割り勘にしました。みんな自分が払いたかったから。
帰る時池田ママは挨拶の途中で言葉に詰まって泣いていました。何か言っていましたが言葉になりません。見ていられなくなりました。自分たちもこみ上げてくるものが我慢できなくなり、目もろくにあわせられずに握手だけして逃げる様に外に出ました。ひとつも言葉が出ませんでした。情けないことにきちんと挨拶も出来なかった。お世話になりましたとかご苦労様でしたとかこれからも頑張ってくださいとか、いくらでも言うことはあるのに情けないことに何も言えませんでした。笑って握手して冗談を言って帰るつもりだったのに。
外に出て扉を閉めましたが、これで最後かぁと少しの間池松の玄関を眺めていました。…涙が出ました。いつもは外まで出てきて近所迷惑を酒を飲んでいるこっちが心配するくらいの大きな声で挨拶をしてくれるのに、昨日に限ってママは出てきませんでした。でてくるかな?と思って待っていましたがずっと出てこなかった。少ししてママの代わりに真っ赤な目で出てこられたヤメロンのおじさんと握手をして帰りました。いろいろおじさんにも話したかったけれども、おじさんからお礼を言われて、これからも姉さんとひろみをよろしくと言われて、情けないことにありがとうございました、しか言えませんでした。
白山通りまでのわずかな距離、大塚と前後に離れて歩きました。不自然な距離。いつもは並んで今日はこの後どこで飲むか、、等と話しますが昨日に限っては白山通りまでほとんど無言で、いやあさびしくなるねえ、などとあまり意味がないことを単発的に口走るだけでした。ドライなスタイルを貫く大塚本人は後で否定していましたが、、前を早足で歩く大塚は何度も何度も顔を触りながら歩いていました。
かつて、池袋の田が無くなった時には寂しかったし、残念な気持ちで一杯だったけれどもこんな思いはありませんでした。その時は明るく笑って帰りました。
3人で二次会して、…結局大塚と私が家に帰ったのは朝方(朝という噂も…)になってしまいました。酔いました。
子供の作文の様になってしまいましたが、そんな気分の昨日今日。。。
ライロの社員、東京JCFCのメンバー、ソウルのジェグン、知人友人お客さん先輩、沢山の人が私と一緒にお邪魔した池松で何度も何度もお世話になりました。
誰1人池松を悪く言う人は居ませんでした。
楽しい時と美味しいつまみをありがとうございました。ご苦労様でした。