昨日、植木等が亡くなった。
ショックであります。残念です。
しかし、あえて言うなら悲しくも寂しくもありません。どっちかというとドリフの長さんの時の方が寂しく感じました。何故かはわかりませんが、自分なりに私の元気の元だった彼の姿はいつでも観ることが出来るからじゃないかな、、と思います。
さて、植木等という人は子供の頃から知っていましたが、子供の頃はどちらかと言えばドリフターズであり55号でした。シャボン玉ホリデーは親なんかが観ているのを一緒に子供ながら二観ていましたが、ハナ肇のドラムの芸(ずーっと地面まで叩く)やお呼びでない!が印象に残っています。でもいかんせん子供過ぎましたからほとんど記憶していません。その下の世代はたけちゃんマンでありさんまだったりするのでしょう。クレージーキャッツと言えば、隠し芸大会のハナ肇の銅像が毎年やっていたのを小学生時代の記憶として頭にあります。新入社員で入った会社で仲良くなった先輩(今でも親しくさせて頂いています)から、「植木は天才だ〜」「青島は天才だ〜」と聞いて、クレージーキャッツのLPをテープに落として貰って聞いたのが始まりであり、衝撃でした。その先輩がシンガポール駐在になった時のこと。テレビで植木等が自分の人生を語る番組があったので、自分で観るのはもちろんその先輩に送ったら喜ばれるだろうと思い、ビデオに撮りました。そしてそのビデオをシンガポールに送る際に、その伝票の中身を書く欄に「丸秘ビデオ在中!お楽しみに!!」(詳細文言は失念しましたがそんなようなことを…)と書いて送りました。シンガポールはそういういわゆるエロ系の検閲が厳しく、その先輩はなんと荷物を当局に取りに来いと呼ばれ、係官の前で私が送ったビデオ入りの袋を開け、なんとその場でビデオデッキに挿入。その先輩は「参った!要らないと言って帰ろうか…」と思いつつドキドキしながら係官とビデオを観るとそこにはなんと植木等が笑って話す姿が…。きょとんとして係官が早送りで送りますが、ずっと植木等。エロビデオの疑いが晴れ、ビデオを持って自宅に帰ったそうですが、、、、。直後に国際電話がかかってきて…もちろん怒っていましたが、あきれかえりすぎて笑っていました。余談でした。
「コツコーツやる奴ぁ、ご苦労さ〜ん!」の無責任からはじまって、「ちょっと一杯のつもりで飲んで、いつの間にやらはしご酒…」みんなが知っているスーダラ節、「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ〜」「帰りに買った福神漬けで1人寂しく冷や飯食えば…」「ごまをーすりーま〜しょ、上手にごまをね!あっすれすれ!ごまをするにも命がけ、手間もかからず元手もいら〜ず!」「あなただけが生きがいなの、お願い、お願い、捨てないで〜!・・・てなことと言われてその気になって…」珠玉の名作がそのテープには入っていました。いじわる婆さんまでは良かったものの都知事になって名を落としてしまいましたがその多くの作詞が青島幸男であり、ボーカルは植木等でした。まさに天才名コンビでした。
深夜映画の日本一のほら吹き男、日本一のごますり男をビデオに録画し、擦り切れるくらい観ました。台詞も自然に覚えました。カラオケでおふざけで植木等の名曲を沢山歌いました。
30歳で起業後の高校時代のクラス会でカラオケに行った際に友人の前で無責任一代男を歌ったところ、「お前の歌だ!」と言われました。「タイミングにC調に無責任、とかーくこの世は無責任!こつこーつやる奴ぁ、ご苦労さ〜ん!」という締めくくりはまさに田辺だと得意げに言われ、まあ、笑うしかなかったけれども、私は20代の時にそういう友人たちの量も濃さも3倍は働いたし、植木等は実は無責任とは正反対のきまじめなお寺の息子であのキャラをまじめに演じることでスーパースターになったことを知っていましたから心の中では違う意味で笑いました。(儲かっても居なかったけれども)苦労しているような顔もしないで起業したからみんなにはタイミングにC調に無責任を地で行っているように思えたのかもしれません。もしそう思って頂けたなら今ではむしろ良かったと思います(当時は今より若かったから少しムカッとくる部分もありましたが…)。
少し前に、クレージーキャッツの映画が「無責任ボックス」「日本一ボックス」「作戦ボックス」という形で売り出されたので当然のごとくすぐに買いました(ドリフのボックスもすぐ買いました)。やはり、無責任シリーズと日本一シリーズは秀逸で、あとからヒットに乗っかって作った映画は、プレスリーや若大将と共に粗製濫造の感があります。いやいや第一作は私が生まれる一年前の62年。一連の映画の冒頭のキャストをよく見るとこれもびっくり(ウルトラQのナレーターが石坂浩二であることと同じくらいびっくり)。亡くなった渡辺プロダクションの故渡辺晋が総合プロデューサーで、音楽が高津善之、助演も若き日の浜美枝や中尾ミエ、田崎潤、有島一郎、おしゃまんべの由利徹のおっさん(毎度味を出しています)はじめ豪華キャストでなかなかのものです。たまにドリフもちょい役で出てきます。ストーリーもしっかりしていていつも同じ背広の植木等演じる主人公が実にアグレッシブに目的向かって目標を作ってそれを確実にダイナミックにこなしていく、どんなことでも有言実行、ちょっとした事じゃ絶対にめげない、偉い人に会っても絶対びびらない、いつも堂々としていて、普通の奴から馬鹿にされあきれかえられても目的を必ず実現し周囲より遙かに大きな成果を「必ず」上げる、、手段を選ばなかったり調子が良すぎて、女にも持てて、そこに細かい笑いやペーソスが鏤められているのですが、実に面白い。この主人公のキャラクターの本質的な部分は、実は20代の私が独立開業を目指して頑張っていた時の大きな支えになりました。なので人の三倍働いて人の二倍遊んで会社をつくる!!と半分冗談ながらも有言実行を目指して頑張る指標でありました。そこまでの器量もスケールもない私には、タイミングにC調に無責任を体現することは出来ませんでしたが、その精神は見習って(植木等演じる主人公は本質的な無責任ではなく、無責任に見えつつ実はしっかりやっていて、変なしがらみや偽善者的な事には無関心、脱線する時もある者の必ず目的に最短距離で進み、強烈な「思い(いわゆる念じる思い)」を込めてあらゆる頼み事を実現させ、上から取り入れられ一定以上の成果を必ず得るのだが、そのプロセスにおいて「常識的な凡人」である周囲の人物たちからは、とにかく調子が良くて無責任に見えるだけなのである。もちろん、飲み代を人に回してちゃっかりしていたり、おべっか使って取り入ったりとするものの、よく考察すると、嘘も方便的な部分もいろいろ見えてきて非常に興味深いものがあります。もちろん映画なので楽しんでみるだけでよいのですが、沢山観たのでいろいろ考える機会を持ちました。日本一や無責任の主人公、平均(へいきんと書いてたいらひとし)、初等(しょとうと書いてはじめひとし)、中等(ちゅうとうと書いてなかひとし)らは、そのネーミングの妙も素晴らしい。どの映画がどの名前かは、日本一のほら吹き男の初等しか一致しませんが…。必ず周囲の登場人物=常人とスケールが違うので、彼ら常人の「常識的な物差し」では天才主人公が理解できないというか奥が深すぎて理解する事が出来ないのでありました。俺もこうやって行こう!と若気の至りもあって真剣に考えたものでした。こんな時にいつも日本一シリーズのビデオを寝ないで観ました。知恵を沢山頂戴し、元気を沢山貰いました。もちろん、これは植木等という人のキャラクターではなくて、植木等という人が演じるキャラクターなのでありますが。しかしここまで演じきるとなると、結果的にスーパースターになりましたから素晴らしいのは当たり前。演じることの大切さをJCで学びましたが、そこにも共通点を感じます。植木等を知る人には有名な話しですが、スーダラ節を渡されて、植木等はこんな歌は歌えない、、と悩みまくったそうです。しかし、浄土真宗の僧侶である彼の父は、「わかっちゃいるけどやめられない!」の精神は親鸞の思想に通じると諭され歌うことを決意した、、そしてとんとん拍子でスーパースターに!というエピソードがそれを裏付けます。
私(63年生まれ)が幼稚園の頃に見た記憶がある町並みや車。いろんな製品。何も考えずにわくわくドキドキ、そして大笑いしながらたまに涙も…、同じ60年代からの大スター紺と55号の映画は、失礼ながら演技もぼろぼろでうるさいだけのとんでもない駄作に見えます。もちろん、比較するのが間違いかもしれないけれども。
昨年、青島幸男が亡くなり、私は当然植木等が弔辞を読むと思いきや谷啓が弔辞を読んでいました。あれ?植木等は??と思ってテレビを見ていたら後ろの方で憔悴しきった植木等の姿。しかも鼻に酸素吸入器を付けて!…これじゃあ弔辞どころじゃない。正直、昨日の訃報より青島幸男の葬儀の際の植木等の姿の方がよっぽどショックでした。真摯でありながら、必ず何か面白いことを言われるだろうと期待していましたがその姿に心が痛くなりました。そろそろ、、正直そう思いました。まだ数ヶ月前のことです。ちょっと前にインタビューされている場面をたまたまテレビで見かけたのですが、その時はもう少し元気な感じでした。
今日は新聞が沢山置いてある喫茶店に行き、スポーツ新聞をほぼ全部読みました。植木等のきまじめぶりや、台本を見て、「こんなの出来るわけないだろ〜!!」と言いつつ、カメラが回ると大爆発してキャラを演じていらっしゃった様子が沢山書いてありました。気が付いたらクレージーキャッツのメンバーは谷啓と犬塚弘と病床の櫻井センリ。
本日、外出の帰りにHMVに寄りました。目的は1つです。
まだ実購入だった「大作戦ボックス」と「時代劇ボックス」を買いました。
昨夜の訃報で植木等コーナーがありました。私の持っているソフトも沢山ありました。
でもやっぱり、大作戦ボックスの一作観ましたが、後半戦のエンターテイメント路線で、平均、中等のキャラではなく、、、事前にわかっているのに何故か残念です。
CDは買ったことがなかった(先輩から貰ったテープは現存!)のですが、迷わず買いました。
先般、社内でもご家族に不幸がありました。
ご冥福をお祈りします。
植木等さん、ありがとうございました。一連の映画でのあなたは私のカリスマでした。私の中では画面の中の植木等は未だ健在!気が付いたら映画の主人公より私の方が年上に!またこれからもあなたの元気に暴れる姿を画面に見ながらいろいろ気づきを頂くと思います。確かに映画の中の植木等は偶像です。私は偶像を見てそこにカリスマを観たのでした。
合掌
本日(3/30)朝、テレビ朝日のスーパーモーニングで植木等特集をやっていました。はじめは植木等のエピソード、映画やテレビ番組や歌のプレイバックをやっていて楽しく観ていました。しかし、現状の社会を批判するためにねじ曲げて解釈をはじめ、挙げ句の果てには現在の格差社会と社会全体が前を向いていた高度成長社会とを無理矢理植木等が演じたキャラクターをフィルターに「分析」し、植木等の活躍した時代背景に彼らの作品の内容を一定以上ゆがめた解釈で解説するとともに、これ見よがしに現状の社会、政府、経済を批評する道具に使う詭弁は我慢ならない思いがありました。
彼らによると、その時代昭和30年代〜40年代は、サラリーマンはタイムカードを押せば大丈夫…(どんと節の「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ、二日酔いでも寝ぼけていてもタイムレコーダーがちゃんと押せばどうにか格好がつくものさ、ちょっくらちょっとパーにはなりゃしねえ…」というフレーズを引用)とだった時代で、今の時代はそれが出来ない「悪い社会」だとキャスターがこれ見よがしに言っていた。果たしてそうでしょうか。ローンやリストラに悩むサラリーマンにこびを売っているつもりかもしれないが、昔もそんな気楽な稼業ではなかったはず。みんなが前を向いていた時代のキャスターをやれたらさぞや楽しかっただろうか!だってぬかしてました。ばかじゃなかろうか。現在のようなスピード時代、結果が見えてしまう時代は、確かに昔のようにのんびりはしていない厳しい面も多いはずではあるが、そんなことはないはずである。また、二日酔いでも寝ぼけていてもタイムカードを押せば気楽にやっていけるのがサラリーマンである、、と言う社会があったとすれば、それが良い社会だと言っているような常軌を逸した主張であった。きまじめな植木等は憤慨しているはずである。映画の中の「偶像」植木等は、日本一シリーズでも、無責任シリーズでも、誰にも出来ないスーパーサラリーマンぶりで大きな成果を挙げるという、本文に書いたようなスーパーサラリーマン(ただ、常識はずれなことを展開しながら進んでいくので面白く示唆があるのだ)であり、気楽に適当にやっている人物像ではなかった。
テレビ朝日、あほか!?
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