あけましておめでとうございます。
実は私、昨年2004年は厄年でした。
厄年は、何事も悪い年回りで仕事もうまくいかないとか、新しい事業や建設は行わない方がよいとか、大きな病気をするとか、いろいろ言われています。私は…と言えば、クライアント都合で計画していた大きめのプロジェクトが無くなったり(業績が…)、業績がここ数年の上昇気流がストップしたり、祖母が亡くなったり、車を二度ぶつけられたり工事業者の過失ながら車庫の扉に自分でぶつけたり社内スタッフにぶつけられたり、フットサルで指を蹴られて軽いながら未だに故障箇所がちゃんと曲がらないなどといろいろありました。菩提寺の浅井上人がいつも唱えられる大難は小難に小難は無難に、という考えで言えば、小難に無難にと、厄年を乗り切ったと言うことでしょうか(まだ後厄が今年いっぱい続きますが…)。
運が強い、運が弱い、といろいろ聞く機会があります。私はだいたい周囲からは運が強い、運に恵まれていると言われます。はたしてそうでしょうか。能力も技術も人並みの私(人並みまで至っていないかも…)を見ると、運が強いから今の私があると見える人もいるかもしれません。そういえば、会社を作り創業したとき、多くのサラリーマンの友人や先輩、知人からは「田辺(または田辺君)、凄いね」「よく頑張ったね」「勇気あるね」と言われました。私自身がぴんと来なかったのですが、やはり私のようなたいした能力も技術も無い者が独立して開業した(しかも電話帳の分類で●●屋と当てはまらないから業種的にぴんと来ない人が多い!)となると、あいつは大丈夫なのかと思ったり、ご自身の尺度で考えて(多分ご自身と私が同じテーブルに居るように感じるのでしょう)おっしゃったりするのだと思います。はじめはバカにされているのかと思いましたが、よく考えたらほめられているのでした(うーん、複雑!)。しかし、私は特別凄いことをして会社を作ったわけでもないし、特別運が強くもないし、頭が賢いわけでもないし、とはいえバカが無理して会社を始めたとも自分では考えたくないし、加藤先生にいろんなメソッドや視点をご教示頂いた他は特別な技術を持っているわけでもない。人より少しだけ志を高く持って(正確に言えば持とうと考えた)、目標を掲げてアランの言葉を信じて実践し、自分のための前に人の前を心がけたり、目標のために確実に行動した(人の三倍働く、人の二倍遊ぶ!)だけです。確かに月に400時間労働も経験したし、独立前はハードワークの会社の仕事の倍も独立のために働いたし、会社の論文コンテストで優勝してゲットした図書券10万円分持って本屋に行ってその日のうちに10万円分書籍を買ったり、独立前一年間週末は全部仕事をした(結果サッカーの試合に一年間行けなかった)し、ふつうに務めていたらやらないことをやったのは確かです。運ももしかしたら強いのかもしれないけれども、「運」と言うことだけで考えれば、ビンゴも弱いし、くじもはずれるし、じゃんけんも強いとは言えないし(しかし負けにくい技と気合いは教わった)、宝くじはあまり買わないけれども5000円が最高(話は別ですが、宝くじは買っても当たらない、しかし買わないと絶対に当たらないという真理は仕事をする上で非常に大きな示唆を持ちます)…と言った具合で、そういう偶然に頼る運はどちらかといえば良くないと自分では考えます(多分、特別な人以外はみんなそう感じると思います)。反対に、運も実力のうちという言葉を、何となく理屈で説明できない現象の説明に使ったりしますが、誠心誠意取り組むと結果は付いてくるものだから、その結果だけをみてあいつは運がいいなあとなるのかもしれません。そういう意味では百歩譲って私は運がよいのかもしれません。
しかし、そういう意味では「運良く」今までの人生、友人においても仕事においても人には恵まれました。会社設立前、会社設立後、いろんな人のおかげでここまで来ることができたのは、間違いなく私をいろんな場面で支えて頂いたひとりひとりの「人」のおかげです。おかげさまで今がある。自分だけでは何もできません。当たり前の話です。それを運だと言えば私は今まで少なくとも若いときは本当に運の良い男だったと思います。
ところが人間は勘違いします。私もそうです。たまにそれを忘れそうになります。いくらなんでも、人のおかげでここまでこれたのではなく、自分の力だけでここまで来れた、等と思うことはただの一度もありません。しかし、何かの機会に、この人が頑張ってくれた場面があったことを忘れて、その人の非に目が向いてしまい、その人を批判非難する気持ちばかりにとらわれてしまうことがあります。恥ずかしいことです。私や会社にも、いろんな問題が発生しますが、やはりそれは運がもたらしたのではなくj、自分自身の悪い部分がそういう問題を呼び込んだと考えざるを得ません。支えてくれているその人たちのおかげで、大難が小難に、小難が無難になったのかもしれない、のに関わらずです。
しかし、会社設立12期目を迎え、振り返ってみると、日常に流されていることがいかに多いか。反省しあらためるべきことです。会社の課題、私の課題、創業当時とは質も重さも変わってきました。そのことをより強く実感しながら何をなすべきなのか、自分に会社に何が足りないのか、何をのばしていくべきなのか、考え行動していかねばならないと温泉に入りながら考えました。
初心忘れるべからずで、2005年は頑張っていきたいと思います。また、ここでは書きませんが、いくつか自分自身が自分自身に約束し必ず実行すると考えたことがありますので、強い意志で必ず実行しようと決めました。
2004年は災害の年でした。台風が多く、新潟の震災、そしてスマトラ地震の津波では多くの日本人が命を落としました。恥ずべきことに私は何の支援もできませんでした。義捐金を送ろうとかいろいろ考えつつ、そのままにしてしまいました。聞くところでは、私の多くの良き後輩が新潟に出向き、復興支援や炊き出しに行ったり、災害発生時の復旧支援システムをプログラム化することに着手したり。といった具合に動いたそうです。自分のことばかりではなく、困った人のために自分にできる小さなことを確実に行う…そしてその集合体が大きな力に…そんなすばらしい人間が私の手の届くところに沢山居ることを誇りに思います。是非これをご覧になった皆さんも、何かあったときに必ずできることってあります。新潟に行けなくても何かできることはあるはずです。そんな小さな存在の一人一人が何かを考えどんな小さなことでもよいから自分にできることは何かとみんなで考える世の中に…。2005年は天変地異のない良い年となるよう祈りたいと思います。
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