ようやく春が来ました。
春が来ると、華が咲く。
東京ではサクラは終わりですが、北の方や山の方ではこれからですね。
ライロの近くの小道、一軒家の小さなお庭の片隅に小さな春を見つけました。
道に面した、薄日しか差さない、どちらかと言えば暗めの場所で一生懸命生きています。
鉢植えに咲いた花からこぼれて野草のように生きている可愛い草花
どこからか、風や鳥が運んできた種から芽生えて力強くも可憐に咲く草花
どれも目にした人の心を癒してくれます。
春はよいものですね。
ようやく春が来ました。
春が来ると、華が咲く。
東京ではサクラは終わりですが、北の方や山の方ではこれからですね。
ライロの近くの小道、一軒家の小さなお庭の片隅に小さな春を見つけました。
道に面した、薄日しか差さない、どちらかと言えば暗めの場所で一生懸命生きています。
鉢植えに咲いた花からこぼれて野草のように生きている可愛い草花
どこからか、風や鳥が運んできた種から芽生えて力強くも可憐に咲く草花
どれも目にした人の心を癒してくれます。
春はよいものですね。
投稿情報: 23:59 カテゴリー: いろんなこと | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
昨日4月2日は私の45回目の誕生日。
誕生日の年越しの瞬間は、、飲んでました!私の奥様及びオフィスで働くライロスタッフの皆様すみません!ある会の流れで、、何も考えずただ飲んでました。
このところCIデザインのプレゼンラッシュの嬉しい悲鳴、猫の手も借りたい、、という中でみんなで頑張っていましたが、結果的には絶好調!ノウハウ、ロジック、クリエイティブ、そして努力と団結。
しかし、今年の誕生日、実は少し疲れがたまって?昨日体調がイマイチ、いろいろあって気持ちもイマイチ!あまり良い誕生日では無かったような、、、とはいえいろんな人の愛情と気持ちを感じることが出来て嬉しくもあり。。
皆さんのおかげで今日は元気いっぱい!八王子まで行ってきました。4/1に新CIスタートされたクライアントの皆さんとの心の交流、感謝と経緯の連鎖。ウインウイン、プラスとプラスのスパイラル。まさに信頼と約束の連鎖。非常に気持ちが良いものです。
個人的にプレゼントをくださった方、どうもありがとう!どれもすごく嬉しかった。そしてそのお気持ちにも感謝!
私たちがお作りした新しいCIデザインがいくつかデビューしました。その機会を頂いたクライアントの皆様、クライアントに引き合わせ紹介くださった皆様、その創造とそれに関わった全てのスタッフ、外部で協力してくださった皆様全員のお陰であります。プレゼンの時のスタッフの緊張、クライアントが喜んで頂いたのを見たスタッフから溢れる自然な笑顔。何十人が関わった新しく生まれたCIデザイン。企業理念体系やCIデザインをお決めになるクライアントのお顔は輝いていました。もちろんCIプロジェクトに直接関わらなくても会社や私をいろんな側面で支え応援してくださる人の心。
こんな皆さんの笑顔と心、私にとって一番の誕生日プレゼントにまちがいありません。
どうもありがとうございます。
株式会社ライロの15回目の誕生日は五月八日!もう少しです。
早いモノで十五年、いろいろありましたが、ライロと私を内外で支えてくださった多くの人の心と愛情の賜です、
本当にありがとうございます。
これからも頑張らなければ、、。
投稿情報: 21:28 カテゴリー: いろんなこと | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
画像の確認
先週日曜日、東京JCFC会長代行柴田昌彦君と間宮智恵子ちゃんの結婚披露宴があり、みんなで参加してきました。
牛久保会長が取り持つ縁で結ばれ今回結婚することになったエネスタ向島を運営する株式会社ドンの若社長柴田君と美人の智恵子さん。詳細は本人に聞いてください。
当日は、牛久保会長(乾杯のご挨拶)、中尾先輩、林君、鈴木君、西村君、白根君と同じ円卓で楽しく過ごしました。また、よく月曜日に仕事がある関係で三次会からはソウルからジェグンも登場で夜中の二時半まで続いたパーティーサンデーでした。
投稿情報: 16:07 カテゴリー: いろんなこと | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
恒例第十三回ライロのクリスマスパーティーに参加いただいた皆様、ありがとうございました。皆様に支えられて、、無事かどうかは別として今年も一年間頑張ることが出来ました(まだ終わってませんが)。ありがとうございます。感謝です。
14日のクリスマスパーティー、そして昨日、東京JC後輩のM君の卒業パーティー、無事に盛況に終わりました。どちらも参加してくださる皆さんの温かい心に包まれ、心と心が交流する気持ちが暖まる場でした。
クリスマスパーティーでは、社員も慣れない場ながら一生懸命頑張ってくれました。訓練の足り無さは否めないモノの、一生懸命にやる気持ちはお客様に伝わっていたら嬉しいのですが、一部の参加者の皆さんからは過分にもスタッフをお褒め頂いて嬉しく思います。自分から考え自分から動く、自分が主役であるという意識付けが出来ないメンバーもいるのですが、とにもかくにも無事に終わって良かったです。しかし、参加者の皆さんが増えれば増えるほど、お一人お一人への配慮とお話しが少なくなって、もどかしい思いもあります。恒例のプレゼント交換も、人数的にはこれが限界かもしれない、、と感じるくらい動かないと成立しない状態となり、時間も押してビンゴと共に結局は私が動きまわらないと収集つかないような盛り上がりで、嬉しい悲鳴でありました。ただ、今年は昨年時間を取りすぎた反省から、ずっと続いていた自己紹介を割愛し、参加者名簿の配布という形にしましたが、やはりホスピタリティーが足りないような思いもあって、また来年は改善しなければいけません。いやはや、しかし、三次回終了が5時と言うことで、土日ぐったり?していました。
皆さんありがとうございました。
JCでは、役職を拝命するたびに、卒業して年を取るたびに自分で幹事をやることなどありませんが、機能に限っては私が1人感じで設営しようと2ヶ月前から準備をしました。やはり、若い時と違い、設営してもひたむきさが無いのか(そんなつもりはないけど)何かと元のスタッフに手をかけてしまい、やっぱりだめですね。というよりも、未だに現役の当時幹事をやってくれた小田原の小林君や沼田の永井君、東京のS君たちのように、七時からとなれば六時に来てお手伝いしますと自ら進んで動いてしまうみんなの素晴らしさ、JCという人間力を磨く場の素晴らしさを改めて感じました。ライロのクリスマスパーティーにおいても、異業種交流会的に自分の仕事のPRに熱心な方々と比べると、子供っぽいながら?もスマートにその場を楽しむJCメンバーのスマートな立ち居振る舞いが見ていて頼もしかった感はぬぐえませんでした(そうすることで仕事にもっと役に立つのですがなかなか一般の人には理解出来ないんですね)。
森圭一郎君のコンサートは歌はもちろん、彼の配慮もあって非常に楽しく盛り上がりました。彼が盛り上げて楽しませてくれるからこそ、もっと言えば彼の紆余曲折のストーリーを笑顔に載せて明るく話ながらみんなを楽しませるホスピタリティーがあるから、参加したメンバーが自分絡みの事業やイベントで彼を呼ぼうと考えたり、持参したCDが完売したりします。自分の売り込みを前面に出したらそんな話にはなりません。若い友人の森君には是非活躍してもらい有名になってもらい、、、頑張ってもらいたいと思います。
昨日は、東京JCの会員研修委員会において三田君と仲良くしてくれていたメンバー、2000年2001年M君が関東地区で活躍した当時の仲間が大勢来てくれて三田君も幸せな男だと思います。栃木、群馬、茨城、千葉、神奈川から遠路はるばるこのために喜んで出てきてくれる関東地区協議会のメンバーはやはり素晴らしいと思いました。2000年関東地区協議会情報ネットワーク委員会土谷総括幹事がメーリングリストでいつも締める「JCって本当に良いなと思いました。」の決めぜりふが昨日は何度も頭によぎりました。00委員長の渡辺さんのいつも通りのスピーチ、いつも可愛らしい寺田さん、何故かいつも中心なのに昨日は敢えて後ろに引いてくれていた千葉親父2人〜船橋小原親父と市川石井親父の優しさ。急遽参加してくれた石岡チューリップ親父の真家さんや人形若旦那の佐野の藤沼さんのいつもの笑顔に癒されました。三田君と仲良い東京の山田さん平川さんら先輩をはじめ、三田君とスリープ仲間の伊藤ちゃんや、巨匠、親方、エロQ(温泉宿泊券ゲットおめでとう!)、、そして未だ現役の島村君や斉藤君も二次会は期せずに01年のメンバーが残りましたが、心優しい天野っち、土浦の外塚御大の独特の愛情表現、同級生阿部君のひょうひょうとしたトーク。。実は私が一番昨日参加してくれたメンバーと誰よりも話をしたかったのですが、司会などで忙しくて、昔話に華を咲かせることも出来ず、1人ひとりのメンバーとの個別の会話はなかなかできませんでしたが、握手をし笑顔を拝見し、近い将来の再会を確認し合えただけで大変幸せでありました。特に東京JCメンバーのドタキャン連発が目立って、東京JCOBの私はちょっと恥ずかしかったのですが…。最後は夜も更け、、三田君と2人でいつもの?飲みになってしまいましたが…。
みんなお疲れ様でした。三田君、おめでとう&JC活動ご苦労様でした。
金曜日は、我が愛する東京JCFCの卒業式&納会。西村会長の締めくくり、新会長は誰か!?!?、前田、柴田、阿部、関根という非常に私にとって思いのある4人の卒業と言うことで、、私にとっては単なる忘年会ではない熱い思いが…、、、これを入れたら私の三大イベントなのですが、まあこの会は先輩としての私を演じ?、楽しむ側に徹しますが、、。
投稿情報: 10:39 カテゴリー: いろんなこと | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
週刊ダイヤモンドの「8/11,18」号の、全国805都市ランキング「安心して住める街」によると、日本で一番安心して住める街は我が文京区であるという。これは私たち文京区に生まれ文京区を誇りに思うものにとって非常に気持ちがよいことであった。(なので、いささか偏ったコメントが続く部分があるがご容赦頂きたい)
1.老後病気(老人福祉施設入居定員数、病院診療所病床数、病院診療所数、訪問介護事業所数)
2.教育(大学など進学率、塾・進学教室数、小中学校教員数)
3.生命・犯罪(犯罪発生率、建物火災発生率、交通事故発生率、警察署・駐在所・交番数)
4.経済力(経常収支比率、法人住民税納付額、人口増加いつ、完全失業率)
という4つの項目を、15の指標を使って判定し、805都市に順位を付け、偏差値で比較したとのこと。
この上位の4つの項目全てが全国平均を上回ったのは全体の5%に満たない36都市である。
我が文京区は、都心にありながら古く江戸時代からの住宅地であり、東京大学を象徴とする教育の街〜文教の地であり、私の時代から小学校は学年2クラスで密度の濃い教育が可能であり、下町系の高偏差値の子供が越境入学してくる場所であり、当時の学区制度では第四学区で豊島区・北区・板橋区と何故か北の方の区と一緒(これは文京区に集まる優秀高校に北の方の優秀高校がないエリアの子供を行かせるためと言い切って良い)で、中学時代の学力テストを覚えているが、文京区内の私の偏差値と学区内の偏差値は5〜10違っていた。まさに文の京(みやこ)である。医療も東大、日本医大、順天堂大等医大始め大病院から街のクリニックまで充実し、犯罪率の低さや交通事故の低さも誰もが認めるところである。都心部の華やかさはなく、せいぜい東京ドームの回りくらいだが、逆に怪しい街も上野との境目の湯島の一部くらいである。
ということで、ベストシティ36は、
文京区 綜合偏差値67.6/老後・病気66.4、教育64.4、生命・財産66.1、経済力73.6
住宅地として名高い?昔畑だった、高級といわれる新興住宅地の世田谷は綜合偏差値56.4で、60を越えるのは経済力(60.5)のみ。私は文京区民なので、あの不便な世田谷の地の人たちと話をすることがあるが、インフラの違いは明らかで、さらに交通の至便生などを考慮に入れたらさらに差は開くであろう。最近でこそ品川に新幹線が停まるし(文京区民からすると都内の僻地で地方から来た人が住宅地を求めて住む町といっては失礼だが品川に新幹線が停まるのは彼らの救済以外の何物ではない)、羽田からソウルなどへ国際便が飛ぶが、東京駅や成田空港への距離を考えたらどうか。私は自宅を出てから最短30分で新幹線に乗れます。成田空港のカウンターに最短90分で航空会社カウンターに着きます。羽田には車が混まなければ最短40分。電車を乗り継いでも1時間かかることはない。
山手線内、行き先が不便なところでない限りほぼどこへでも地下鉄利用で30分。一番遠い大崎でさえ40分。夜お酒を飲んでも六本木銀座赤坂池袋上野麻布渋谷新宿どこからでも3000円あればタクシーで帰ってきます。
こんな場所ありません。
ちなみに最強の都市千代田区は、
綜合偏差値不明/老後・病気93.6、教育107.6、生命・財産▲27.1、経済力124.4
と、生命財産のみマイナス偏差値しかも805都市で最低数値であった。
しかし、田舎を除いた首都圏、中部圏、関西圏のみ205都市での比較となると綜合偏差値は74.6となり、文京区の67.6を上回りナンバーワンに。地方都市の犯罪率の低さが原因であろう。
くわしくは、ダイヤモンドのバックナンバーを見てください。非常に面白いです。
投稿情報: 20:32 カテゴリー: いろんなこと | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
東京JCの後輩、東京JCFCキャプテンの三輪竜也君の結婚式に出てきました。久しぶりの披露宴出席です。
由緒ある、自由学園明日館。旧帝国ホテルと同じ建築家が設計した文化財での結婚式は初めての体験で興味深いものがありました。
私は二次会で失礼してしまいましたが若い人たちは三次会でカラオケで遅くまでまたまた盛り上がったとか…。
東京JCFCの納会では景品を持ち帰れないので、今回はオープンな二次会ということで、中尾さんのロデオボーイに続き、私は薄型DVDをビンゴでゲットして持ち帰りました。(みんな辞退しないでごめん)
楽しかった。
投稿情報: 13:06 カテゴリー: いろんなこと | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
先日、私の知人が振り込め詐欺に遭いました。正確に言えば未遂に終わったのですが。
前日、本人を名乗る男性から、携帯電話を変えたのでというダミーの電話番号の提示。バックが騒がしいなどの小細工をして本人だか他人だかわからないような演技。綿密な準備があるのでしょう。家族はその電話を信じて携帯番号の登録を…。
翌朝、その実家に電話で、お宅の息子さんが昨夜飲み屋で暴れて女性に暴力をふるい、その女性の顔に何針を縫うような傷を負わせたと言うことで、どこかへ監禁されている、ついては示談金として126万円を一時間で(?)振り込めとのこと。そして本人(息子役)が替わり、いかにも死にそうなか細い声で「俺、もうだめだよ〜…」(と、心配させ)、「みっともないから誰にも言わないで…」(間違いなく他言させないためのネタ振り)などと声にならない声で心細く言ったとのこと。お父さん、というより親父は息子に「しっかりしろ!どんと構えろ!」と一喝。「お父さんが今すぐ振り込んでやるから待ってろ!」頼もしい限りの一言。
老いたご両親は慌てて、お金を用意して銀行へ奪取し、息子を助け出すべく振り込み手続き!
80過ぎの老人が今すぐ振り込んでくれという尋常じゃない勢いに何かを感じ、「どうされましたか?」と問うと、「そんなことはどうでも良い、振り込んでから話すから速くこれを振り込んでくれ!」。
(…振り込んで~じゃ遅いんじゃないの?お父さん!!)
…これでこれが事件であることを確信した銀行員は警察にも通報し、お父さんを保護。
銀行が本人(息子)の職場に連絡すると、ぼこぼこにされて?監禁されているはずの本人はいつも通りの仕事中。
何とかお父さんも訳を話すと安心。
本人(息子)は銀行に菓子折を持ってお詫びに行ったとか。
事前に調べたりもしただろうし、金額も高すぎればすぐに振り込めないし、多分彼らの経験でいくらくらいならすぐに用意して振り込んで来るという値頃感があっての126万円なのですかね。
親の愛情を悪用した許されざる犯罪行為。身近にもこんな事が起こるんだとびっくりしました。
とりあえず、無事で良かった。めでたしめでたし。
笑えるようで笑えない話、面白いけど恐い話(笑)
投稿情報: 13:44 カテゴリー: いろんなこと | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
ピノキオで有名になったRoberto Benigni主演のライフイズビューティフルは私の最も好きな映画の1つです。イタリアを部隊とした第二次大戦のユダヤ人の物語。この映画が表現する笑いと悲しみを通じた人生模様、グイドのユーモアと子供の純粋な笑いと驚きの表情に感動を禁じ得ません。ユダヤ人の彼らが抱える大きな問題〜もちろん戦争とナチスですが〜主人公のグイドのひたむきな明るさと強い意志に基づいたユーモア精神、暗い時代と舞台のイタリアの華やかさや人々の明るさとの対比がたまりません。また、同様に、名優RobinWilliams主演のヤコブザライヤー(和訳タイトルヤコブの嘘つき)。こちらも同様第二次大戦のユダヤ人の物語。こちらは舞台がポーランドなので、ナチスから共産主義時代に至る、我々が持つ東欧独特のグレートーンの暗い(東欧出身の人ごめんなさい)雰囲気そのままで、暗い中での笑い。登場人物の人々の後ろ向きな姿勢(もちろん国民性ではなく当時の状況や寒さが大きくそうさせていることは間違いありません。誤解なきよう)。イタリアとポーランドでは違うなあと、私の主観や誤解かもしれませんが改めて感じます。共通しているのが収容所内の雰囲気、トーン、空気。イタリアは明と暗の対比、ポーランドでは暗と暗の類似のトーンの中での対比。この表現は見事です。
どちらも主演俳優の持つ個性とトーンが、深い悲しみと苦しみの中で笑いを演じる中で、共通していて全く違うカラーとテイストを我々に与えてくれます。どちらも次々と展開していき最後に悲しみを沢山残した中での大きなグローリーがあるわけですが、あまりにも悲しみの部分が大きい中での喜びの表現、、、感動詞ながら感心させられ何度見ても飽きない映画であります。
ストーリーは語りたいですが、是非DVDを買って(借りて)ご鑑賞!!
ライフイズビューティフルはちょっとしたことで手元からDVDがなくなってそのままで、あらたにアマゾンで買い求めて早速見ようと。。。
同様、ナチス時代のユダヤ系の人々を描いた映画は沢山あってどれも感動させられます。
今年DVDで見たテレビシリーズのV(VisitorとVictoryの両方をかけている)という長編がありましたが、これもベースはこのテーマのように感じます。捕虜として捉えられたりいろんな流れが結構上野映画と似ていたりします。実際に収容所経験者のおじいさんが、Visitorとの戦いでは的と相対し多彩の振る舞い方や話し方などを、ナチス時代の苦労を背景とした経験でアドバイスしたりしています。VはVで少し子供っぽいSF的な部分があったり、フィナーレが唐突で途中の細かいところまで行き届いたストーリー展開からすると実にチープで安易になっていて、気球でVisitorにだけ害がある細菌を撒いたりする映像がものすごくチーズでありますが、前述のトーンの問題と、Visitorが宇宙からやってきて、、、と思っていたら地球を支配されそうになってテーマがVictoryに変わるというのは見ていて面白かった。
投稿情報: 19:09 カテゴリー: いろんなこと | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
もう亡くなって13年になりますが、私の母の父、つまり私の母方の祖父は私にとってかけがえのない人でした。明治生まれの肥後もっこすそのままの熊本弁丸出しの祖父と私との間には、誰にも入ることの出来ない深い深い関係がありました。
それはさておき、私のおじいちゃんの面白い思い出話。
その1
今から30年くらい前の本郷時代の多分中学生くらいの頃の話。ある日おじいちゃんの家に行くと、おじいちゃんが私に「どうかい、眞ちゃん、イメージダウンを図ってみた!」と言いました。テレビの場所をずらして模様替えをした様子。「おじいちゃん、それを言うならイメージチェンジだろ!」
その2
私が小学生のころ、叔父に縁のある長瀞でライン下りを楽しんだおじいちゃん。船頭さんの巧みな舟捌きを堪能したようです。ライン下りをした時のおじいちゃんは急流にさしかかると恐怖で硬直して足を突っ張っていたと同行の親類から聞きました。一応私とおじいちゃんとのルール(正確に言えば家で何もしゃべらないおじいちゃんを話させるため〜私の質問には面倒がらずに笑顔で答えるから私はおじいちゃんが死ぬまで毎日会うたびに質問攻撃を続けました)で長瀞の話を一部始終質問しました。すると、意外にも全然恐くなかったと…。「長瀞のライン下りなんか、あ〜ん(九州人独特の馬鹿にした時の言い方)、つまらんばい。俺は熊本の球磨川の急流で育ったからあんなゆっくりした流れはスルリが無い!」勝ち誇ったような顔。「おじいちゃん、それを言うならスリルだろ!!」
その3
私のおじいちゃんは熱烈な巨人ファン。ナイターは1シーズン全試合をテレビ観戦します。しかし巨人が負けている試合は頭に来て演歌の番組や時代劇に切り替えてしまうので、一番の醍醐味の逆転勝ちを見た試しがありません。正確に言うと、私や叔父たちと見ている時には私たちはチャンネルを回さないから巨人の逆転勝ちを見ることが出来ます。そんなおじいちゃんは私が大学生か新入社員の頃だろうか、巨人で活躍した「巨人史上最高の外国人」クロマティーの大ファン。クロマティーが打って巨人が勝って私が帰宅すると、必ず「くろまちーはよかね〜!!」と喜びを私と分かち合おうとします。ちなみにダブルプレーや内野フライが多かった原や中畑には辛口でした。「あれはつまらんばい」
おじいちゃんはどうしてもクロマティーと言えずにくろまちー(敢えてひらがな)としか言えません。ちなみに大正生まれの私の父は、ティーが発音できず、テーになります。テーショット。レモンテー。ミルクテー。アイステー。くろまてー。おじいちゃんのくろまちー、父のくろまてー。たまに目撃しましたが、両者ともくろまちー、くろまてーで会話は成立していました。でもお互い相手の発音が違うと思っていたようです。
その4
今から20年以上前の頃の話。私が酒を飲んで4時とか5時に帰宅する時がありました。野球が終わると寝てしまうおじいちゃんは宵っ張りのおばあちゃんの迷惑を顧みず3時から5時に起きてもぞもぞとよぼよぼと動き出します。そういうことで私が超深夜の4時5時に帰るとおじいちゃんが顔を洗っている時歯を磨いている時があります。おじいちゃんの物音がする洗面所に降りて「ただいま」と言いつつお尻に浣腸(七年殺しが昔はやりました)をすると、きゅっとお尻をそぼめて、全身で振り返ります(よぼよぼしていたので首だけでは振り向けない)。満面の笑顔なのですが、口から唾液と歯磨き粉のミックス液をたらしながら「眞ちゃん、おはよう!今日は早かね〜!」と言います。「違うって、今帰ってきてこれから寝るんだよ!!」。そして2人は並んで歯磨き。でも寝起きと深夜帰宅が同時になって歯を磨いたことが何度あったか。これがけっこう何度もあったんです。
その5
今は無き軽井沢の山荘におじいちゃんと行くと必ず草刈りをしようと釜を片手に遊びましたが。麗句ニュータウン内に山荘があったので、レマン湖湖畔の三越の喫茶店でおじいちゃんに宇治金時(かき氷)をよく食べさせてもらいました。外で食べるかき氷は本当に美味しかった。
ある日、まだ小さかった妹(ということは私も結構小さい)、おじいちゃんが妹と手をつないで山荘の近所を散歩していました。近所に○○さんという人の山荘があって、そこに彼らはレトリバーを連れて来ていました。その犬が突然(あくまでおじいちゃん曰く突然)茂みから飛び出してきて、どう考えても懐こうとおもっておじいちゃんに飛びついて後ろ足で立っておじいちゃんの胸に前足をやりました。足が弱いおじいちゃんは一瞬たじろいだものの昔警察官だった頃鍛えた柔道の心得で瞬間的に身をかわす(無理無理)と同時に妹を自分の後ろにかばい、手に杖を持っていたので昔警察官だった頃の剣道を思い出して?杖で犬を撃退(無理無理)したところ、とにもかくにも大きな犬は○○さんの家に逃げ込みました。(あくまで犬を撃退したというのはおじいちゃん曰くです。私はそうとうびびったおじいちゃんが何とか杖を使って追い払ったと思っていますが)
犬が逃げたので強気になって、ついには激高したおじいちゃん。○○さんの家の前に歩み寄ると(歩くスピードは亀より遅い)、一喝!
「ぬしゃあなんば考えとるかっ!犬は鎖につないどくもんゾーー!」(お前は何を考えているのか!犬は鎖につないでおくもんだぞ)と声の限りにどなりました。「つないどくもんぞー」の部分は、後ろに進む事に声を大きく大げさに言って「もんぞ」の「ぞ」の時にクライマックスを迎えてボリュームマックスにしつつ語尾も伸ばす)そうすると○○さんの奥さんが飛び出してきて謝って、「この犬はおとなしい犬ですから…」と一生懸命鎖につながずにいたことでおじいちゃんに結果として飛びかかってしまった(犬は愛嬌振りまいてなついたつもり)ことを詫びました。が、肥後もっこすのおじいちゃんは謝られても引っ込みも付かず、「犬は鎖につないどくもんぞ、わかったか!」と一喝したそうです。
その日以来、私の家族の間では、その犬のことを「もんぞ犬(いぬでもけんでも良い)」と呼ばれるようになりました。翌年、翌々年、そして次の時も、、軽井沢の山荘を訪れると、ちょうどうちの山荘に行く途中に○○さんの家があったのでどうしてもそっちをみて「今年はもんぞ犬は来てるね(来てないね)」とみんなが自然に話すのでした。
まあ、おじいちゃんの話は機会があればまた。防犯カメラ、ハイエナ、どぎゃんあろかい、嘘つきは○○のもと。珈琲ダック、、、、。
投稿情報: 00:33 カテゴリー: いろんなこと | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
過去二度ほどやった失敗談。
車で移動して、コインパーキングに駐車をし、打合せに向かいます。
無事打合せを終え、コインパーキングに戻ります。(当たり前)
料金支払い機にて、駐車位置番号を入力し料金を払います。(当たり前)
料金を支払うと、「ジーっ」という音と共に停車板が降りて、車を出せます。(当たり前)
しかし、私は二度ほど番号を間違え料金を入れました。
なぜとぼけた間違いをしたのか、原因不明なのですが「ジーっ」という音と共に他の車の停車板が下がっていくのを見るのは実に侘びしいものです。
改めて番号を入力し、お金を入れて…。
あーー。
投稿情報: 12:04 カテゴリー: いろんなこと | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (0)