ワールドカップが終わり、オシムジャパンがスタートした。
考えながら走るサッカーを標榜し、スター選手不在のJリーグ下位の常連だったジェフをトップチームへと鍛え上げた手腕と頭脳は私が言うまでもなく注目に値するはずだ。トリニダードトバコ戦やイエメン戦の後は、新聞やテレビを賑わした。代表監督としてどんな功績を残してくれるかはまだ未知数ではあるが、我が日本代表の世代交代と真の21世紀の日本サッカーの体現者として歴史に残る仕事を是非して貰いたい。オシムは古い井戸新しい井戸と呼んだが、小野や遠藤以下の世代のW杯経験者の選手たちの魅力が下がったわけでもないしオシムジャパンで出番がないわけではないのだから、今後に向けて更に彼らには精進して貰いたいと思う。
川縁キャプテンへの批判、ジーコ前監督への批判もかなり聞かれたこの数ヶ月ではあるが、私は何も言いたくないし言うべきでないと思う。確かに、ファミリー主義のジーコ監督の思想の元、新しい戦力若い戦力の発掘は遅れた。しかし、マスコミを筆頭に過度な期待をし、圧力団体としての日本のテレビ局の都合(日本での放映時間)により、一番暑い15時からの試合を3試合中2試合やることになった等、ドイツでの結果(私は紙一重と思っている)に純粋なサッカー以外の要素も絡んできたことを忘れてはいけないし、サッカーが他のスポーツとは違う位置づけのスポーツであることを改めて認識しなければならない。
ジーコのサッカー、個人の個を大切にし個が自ら考えて創造し展開していくサッカー、の習熟度及び理想への到達度がどうだったかを批評するより、それを踏まえて今後の結果今後の成長にどう活かしていくか、これが大事である。決めたことを変えたがらないジーコ監督は中田と俊輔中心のチーム構成を変えなかったジーコの信念はある意味見事ではあるが、解説者はその柔軟性のない選手起用が最後の最後に悪い方に行ってしまったとさもありなんと語った。確かにばてて動けず精度も下がった2人がずっとピッチに立ち続けた。確かにそうかもしれない。とはいえ、事実なのはジーコを信じてやってきた結果、ジーコ監督の下日本代表はワールドカップアジア予選を突破し、アジアカップも優勝した。監督として結果を残した。一次予選のオマーン戦、二次予選のイラン戦、バーレーン戦、北朝鮮戦、アジアカップでのやはりバーレーン戦やヨルダン戦など危ない試合を確実にものにしてきたのもジーコジャパンだった。結果が劇的だっただけに、その達成感と興奮で、もっと圧勝しても良かったのに、という声がかき消されてしまったのも事実だろうし、アジアの相手に圧勝を続けられなかった事も確かであった。ドイツで大変厳しい結果を得たということだ。これを批評という形ではなく、これからの日本サッカーの飛躍、、近い将来そして100年後に活かしていくしかないのである。日本人は、反省しすぎて自信も失い、過去を全面的に否定してしまうと言う性質が、敗戦や倒産があると顔を出すと言われているけれども、ジーコジャパン、ひいてはトルシエジャパンも負け犬ではない。ドイツ大会では、オーストラリア戦で歯車が狂い、クロアチア戦で入るシュートが入らなかっただけである。あくまで紙一重。
トルシエ時代からの8年、アジアの中での日本サッカーのポジションは確かな存在となった。韓国、サウジ、イランとの4強の構図ができあがった。ここにドイツで痛い目にあったオーストラリアがアジア連盟に加盟し、これからアジアカップや南アフリカの予選に向けてドラマがいくつも出てくるはずだ。(あくまでも私はオーストラリアよりも日本の方が強いと思っている。10回やれば勝ち越すはずだ)
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