思想無き一時(いっとき)の成功は大きければ大きいほど、破綻の波紋は大きくなる。
経営人間学講座主宰の竹内日祥上人のお言葉です。
少し前に東南アジアで大津波がありました。水が引けば引くほど押し戻されて戻ってくる津波のパワーは大きくなります。
私には、ずっと以前から金儲けに特別に長けたバカがお金を持って力を得て、無思想に錯覚し、自己利益だけを考え、技術能力で武装して暴れているようにしか見えませんでした。テレビへの露出や球団やTV局買収その他の露出もこれらは全て計算された演出。認知度を上げ株価を上げ、こざかしいネズミがろうそくの明かりを上手く使って大きく影絵を映し出していました。さらに自分を大きく見せるように様々な「テクニック」を駆使して頑張るだけ頑張ったところで天に吐いた自らのツバが大量に落ちてきてろうそくの炎が消えてしまうかのごとくの今回の事件。まさに私が2~3年前に考えていたイメージ通りの展開になってしまいました。
球団買収の際に、テレビで球団運営の理念を求められた時に、彼は儲けることなど商売のテクニックのことしか語りませんでした。いえ、語れなかったのです。この時私は彼がどれだけ頭が良くて技術や能力そして金を持っていても、幼稚で無思想な子供だと確信しました。プロ野球やプロサッカーには夢とロマンがあり、汗と涙があるのです。ビジネスモデル云々や損益計算は手段手法として必要不可欠なのだが(どうやってやるか)、その前に野球を通じて球団や選手を通じて、夢やロマンをどの様に観客やファンそして選手たちと共有していくのか(何をやるか)…、どんな思想と価値観を持って理念を実現するのか…これこそが一番大事なことです。その上でどうやって(技術や能力を使って)それを実現するのか。全く皆無で私にはバカに見えました。いやいや・・その時のビデオがあればもう一度見てみたいものです.
某大阪のスタジアムのファンの席に行ってファンでもないのにファンのふりしてパフォーマンスを繰り広げ、庭かファンを演じる猿芝居。
もう少しの間は頑張っているかと思っていましたが、やはり無思想で理念がないまま、技術や能力のみで力を付けるとこうなってしまうという先人の教え通りの結末(まだ途中ですが)の様に感じます。
かつては立派な創業の志があったであろう牛乳のY社、牛肉偽装のN社など、理念が形骸化し、いつのまにか現状を取り繕う技術と言うよりもこざかしいテクニックが会社の流れの主流になった時、企業がどうなってしまうのかはこれまでの事実が教えてくれますが、我々経営者は、創業の志を忘れず、高い思想に基づく価値観や行動様式を得て進んで行くべきだと確信します。成長期において、理念じゃ飯は食えない、とにかく技術だ能力だ売上だと、思想や理念を軽視する誤った経営者の方を拝見することがありますが、マンション偽装にしても結局はこざかしいテクニックで空くまでも利己的な利益を追求してきた結果、気が付いたら地獄の三丁目まで来ていたということにすぎません。無思想な状態でどんどんテクニックを磨いて利益をがんがん稼いで、こつこつまじめに進む会社を蔑視し金を稼ぐのが偉いのだと胸を張って張って張りまくって、天に向かってツバを吐く。そんな人間にお金やテクニックのみを追求する取り巻きやイエスマンという取り巻きが沢山くっついた時、どんなことになるのか、今一度私たちはどうあるべきか考えねばなりません。このテクニックとは怖いもので、私の会社のある年配のスタッフが、繰り広げられるテレビの露出という演出で、親近感を得て良い人に見えると言い出したのです。しかもくだらん露出演出にだまされるなと言う私に堂々と反論すらするのです。メディアの影響力は恐ろしいものです。まあ、こういう無思想派が自らの会社に存在すること自体が私の力不足、思想の伝達不足ということで恥ずかしい限りです。テクニックとは使い方では大変怖いと確信するやら呆れるやら。
技術や能力が悪いと行っているわけではありません。私たちは人として、ビジネスマンとして、経営者として、、「能力や技術」と「志や思想」の何が違ってどうなのか、魂で考える機会としたいものです。
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