我が社は一方通行の右側にあるので、いつもタクシーの運転手さんには右に付けてくれとお願いするのにも関わらず、どうしても左側に付けたがる。道が細いので寄せたとしても後ろからの車はよけられないし、車が来て後ろが詰まるようなこともまず無い。左のドアが開くのは百も承知であるけれども、少しでもうちの方へ付けて貰って、向かいの敷地に降ろされるような事はやはり避けたい。別に怒られるわけでもないけれども。
「次の街灯の手前を右に付けて下さい」「はい、わかりました」という会話が成立しても、ほとんど90%以上左に付けます。左側通行で歩道に付けるという行為を毎日毎日するからでしょうか。私の家は右だから右に付けて欲しいし、ましてや左に付けすぎる運ちゃん(ここでは敢えて運ちゃんと言いたい)の仕業によって、我が社側は大きく空いているのにも関わらず向かいの家の敷地に降ろされる。わざわざ丁寧な言い方にてお願いしているのに全く違うことをするわけで、当方の心の状態によっては腹が立つケースだってあります(私は達観できない小者なので)。
右に付けろと頼んで、わかりましたと返事が来て、そして敢えて左に付けてしまう・・・、かつてのプロ野球日本シリーズで、まずは体の近くにブラッシュボールが来るとわかっていていざ来たら思いきりビビリ、その後アウトサイドにスライダーが来るとわかっていながらスライダーを空振りする、東尾と対峙した原監督の現役時代のように、頭でわかっていても本能的に体がそう動いてしまうと言う人間の性(さが)なのでしょうか。こういうことっていくらでもあります。自らが仕事をしている際に気が付かないでこれに近いことをやっているケースはいくらでもあると思います。無意識の意識が人をそう動かす。もしそれが人に迷惑をかけたり、仕事の場ではオーダーと違うことをしてしまったりするケースにおいて、罪のない無意識状態と言えるかもしれないが、自らをプロの職業人と位置づけるならば、意識を持つことで、そして意志によって防ぐべきである。少なくとも仕事をする際には無意識という状態はあり得ないわけで、常に意志と意識を持って常にベストを目指すべきです。しかし、私を含めて多くの人はこのような刷り込まれたケースの際に意識を持たずに何となく習慣通りに「やって」しまう。わざとやったのではないと開き直るような人物は論外だけれども(そう言う輩は掃いて捨てるほどいて、そう言う人が大勢を占める社会なんて想像するだけで恐ろしいし、そう言う輩に限ってそれが普通とか抜かします)、自ら何かやらかしていないかと考える機会を貰えます(それも、やっているとなると毎度という可能性・・・やばい!何かあったら誰か教えて!)。
さてさていろんな示唆を感じてしまう、タクシードライバーの本能というタイトルのお話でした。
もう一つ、おもしろおかしいタクシードライバーの本能話は又の機会に。
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