パラダイムという言葉があります。
人は、誰でも生きていくために必要な目に見えない拠り所としてパラダイムを持っています。ここで言うパラダイムとは、その人が生きていくための価値判断基準とでも言うべきか、あるいは価値判断基準に基づいた生き方・考え方・志・実際の行動の動機とでも言うべきでしょうか。
よく、人望のない人が、人が黙ってでも付いてくるような人を指して、彼はそう言う生き方が得意だけれども自分は能力で生きているからそう言う分野は苦手だ、等と言う場面に出くわします。得意か苦手かと言うこと自体は間違っていないかもしれませんが。
そう言うタイプの人は、私が所属する青年会議所なんかにも多くいますし、テレビでの代表はあの野村監督。人望篤い長島さんや星野さんを掴まえてそう言います。野村監督は現在アマチュア野球の強豪チームの監督さんですが、その驚くべき才能においてピッチャーの球の握り癖などを見抜く「能力」やこういう場面はこうなるなどの確率論を駆使する「能力」に長けています。監督としての長島星野両氏よりは恐らくそう言った能力や技術は上を行くでしょう。しかし、長島さんが太陽のように輝く何人も近づけないあのオーラ、おかしな事をやっても誰もつっこめないあの雰囲気、星野監督の魂そのものの采配や熱血指導、そして信頼したらとことん信頼するあの雰囲気。これらは果たして能力や技術なのか。私は違うと思います。人としての生き方そのものなのです。違うパラダイムに住んでいれば得意も不得意もなく、本質的に違う世界であるということになります。根本的な思想の違いであるということです。
こう言ってはなんですが阪神の監督が星野さんに替わらなければ、伊良部も金本も片岡も阪神に来なかった、ましてや今年のような活躍は出来なかったのでは?と思います。そりゃあ、星野監督も彼等に来て貰うためにいろんな事を考えてフロントを動かして説得に当たっては技術的にもいろんな手を打ったことは確かだと思います。しかし星野監督のあのオーラと雰囲気、魅力。あの人のために一丁やってやろうと思わせる何かがあるのです。一方、ねちねちと小理屈こねてみんなをバカ呼ばわりして(誤解や先入観含めて)。この違いです。
例えば私。私が仮に野球界に生きていて、それなりの現場指導者としての実績があったとします。どんなに技術や能力があっても、足し算的に人を引きつける能力とかリーダーシップを勉強して知識や技術を身につけても(仮についたとして)、絶対に長島さんや星野さんのようなオーラは出せません。今の状態に何かを技術的に付け足しても無理なんです。こういうことは世の中、会社にもJCの様な組織にもいろいろあります。足し算では絶対に解決できないことは、身近なことにおいても沢山あります。そこで必要なことは何か。足し算による付け加えではなく、パラダイムをチェンジすること以外にはないのです。私はCI導入のコンサルテーションの場に気がついたら10年以上関わってきましたが、CIで実施する企業変革もそう言う面では技術的打算的に何かを付け足すのではなく、本質論的な検討が必要であるのです。CIはある側面で経営的な技法であり、技法=メソッドを駆使しながらプロジェクトを邁進する必要がありますが、本質的には経営者の思想や企業としての価値観の集約化であり、パラダイム変革であります。
手前味噌ですが、JC活動において私は恵まれていて若い人が率先して私のやることを支えてくれます。損得抜きに人のために動く素晴らしい人が私の回りに沢山います。one for all ,all for oneの精神に溢れた人が、プラスのサイクルを繰り返しています。プラスの影響を与えてくれた人に私も一生懸命プラスの影響を与え返す努力をします。そこには感動があり、目に見えない潤滑油というかビタミンのようにプラスに作用するのです。これを脇から見る小理屈派の連中は、「田辺さんはそう言う面が得意だからいいなあ」とか、「私はJC運動を人から嫌われようとも使命を果たすために邁進してきたので、そう言う面は苦手だ」とか言います。私からすれば小難しいことを(本当は脇から見ればそうは難しくなかったりすることも多い)小難しい顔をして小難しく小理屈をこねる事ほどバカ臭いことはなくて、難しいことを如何に簡潔に表現することこそ評価されるべきだと思います(学会じゃないんだから)。嫌われることをいとわず邁進・・・と言っても、やり方の工夫が足りないだけに見えるし、そこには統合的な思想ではなく二項対立的な硬直的で低い思想が見え隠れします。
そう言う輩を見ると、私は技術的にやっているわけではなくて、極めて体育会的な発想でそう言う意味では学生時代のサッカー部の時と同様に自然体で当たり前のことを当たり前に生き方としてやっているのですが、と言いたくなります(たまに言ってしまいます)。相手が理解できる言語にかみ砕き、周りの人がやりやすい環境を作って上げたり、やる気を出していただくしつらえを工夫したり、時に本気で怒り、成果は誉めてあげて。奇しくも、先日体調を崩してベッドで見たテレビの中で、人望篤い星野監督を解説する野村監督が「私はそう言うのは苦手分野だけど星野は得意分野でひとの心を掴むのが上手い」と語っていましたが、まさに生き方までをも技術的に解説解釈しようとする氏のパラダイムが見えて恐ろしい気がしました。パラダイムの違いを技術論的に解決しようとしても絶対にその溝は埋まらないのです。特に必要なければパラダイムを無理してチェンジする必要もないかとも思います。人それぞれですから。もちろん、目的を同じくするためにどうこうとなれば別かもしれませんね。
要は生きる世界=パラダイムが違うだけなのです。誤解を招きそうで怖い部分もありますが、病み上がりのぼーっとした頭で勝手に
書いていることとして読み飛ばしていただければ幸甚です。